人形浄瑠璃文楽のみんなが知らない歴史

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人形浄瑠璃文楽といえば、その人気と知名度ともにトップレベルといっても過言ではありません。太夫と三味線、人形遣いが三位一体となって演じるのも特徴的です。その素晴らしさから、2009年には無形文化遺産に登録されるなど、お墨付きも得ています。生まれたのが江戸時代初期であり、一時期は歌舞伎も凌ぐほどの人気を勝ち取ります。詳細を見てみましょう。

脈々と続く文楽!無形文化遺産にも登場

文楽について興味関心をお持ちの方も多いのではないでしょうか。日本の古典文学を語るには欠かすことのできないジャンルの一つといっても良いかもしれません。通常、文楽といえば、人形浄瑠璃文楽のことを指し示しています。大阪の地で産声をあげたことでも知られる文楽は、その秀でた功績が認められることになり、1955年に文化財保護法に基づく形で重要無形文化財に指定されました。その後、2003年には世界最高峰の機関であるユネスコで「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年には「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載されます。晴れて無形文化遺産に登録されたのは2009年9月のことです。以降も大阪に位置する国立文学劇場を拠点に公演を続けています。

三位一体の素晴らしさ

文楽は男性によって演じられることでも知られており、太夫と人形遣い、三味線の三位一体で行うのも特徴です。文楽の一翼を担う太夫は浄瑠璃語りを担当します。基本的には一人で担当しますが、長い作品の場合には複数で行うこともあります。浄瑠璃には複数の種別が存在しますが、文楽では義太夫節が使われるのが通常です。三味線については太棹のものを使用し、弾き手の座り姿勢は正座となりますが、両足を広めに開いた上で尻を完全に地面に落とすのも特徴的といえるでしょう。人形遣いは当初は一人で担当していたものの、後に三人制が考案されることになります。現在でも主遣いと左遣い、足遣いの三人で行う形が主流です。

世界から注目される

本格的に人形浄瑠璃が庶民の前で演じられるようになったのは、江戸時代の初期とされており、先述した義太夫節の生みの親である竹本義太夫を中心に作りあげられます。一時期には歌舞伎を凌ぐほどの人気を得ていたこともあり、その後の歌舞伎の繁栄にも好影響をもたらしました。時代の変化とともに人々の嗜好も変化し、人気は下火になります。しかしながら、無形文化遺産に登録されたことで、再び注目度が上昇します。2012年には久方ぶりに入場者数が年間10万人を突破するという状況になったのも、人気が復活したといえるでしょう。現在では日本のみならず、世界中から来場者が訪れるなど、世界レベルの人気と知名度といっても過言ではありません。

世界が認める文学

人形浄瑠璃文楽は、日本が誇る文学の一つです。竹本義太夫という一人の人物が中心となり、作り上げてきました。2009年には無形文化遺産に登録されるなど、その文学の素晴らしさは世界からも認められることになります。太夫と三味線、浄瑠璃の三位一体となった匠の技が観る人に感動を与えます。日本人のみならず、外国人からも支持される唯一無二の文学です。

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