忠臣蔵で有名な吉良上野介って何をやった人なの?
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吉良上野介は忠臣蔵のエピソードに欠かせない人物ですが、具体的に何をしたのかあまり認知されていません。その歴史は鎌倉時代の足利家の栄光にまでさかのぼります。足利家と深い縁があるの一族であり、宗家の継承権を持っていたことが大きな特徴です。さらに、上杉家と婚姻ベースの外交をしていたことも一族の特徴となっています。
彼は歴史ものでは悪者として描かれることが多いですが、その代表ともいえる逸話は上杉家の財政を悪化させたことです。彼の妻は上杉宗家19代当主と兄妹の関係にあります。この当主が息絶えると男系の後継者が途絶えてしまいました。そこで彼がとった行動は、自分の息子を養子にすることだったのです。これ自体は良策という声も多いですが、上杉家が吉良家の分まで財政を負担することになりました。
勘違いされがちですが、吉良家自体の領地は決して広くありません。しかも本人が散財を好む性格だったので、江戸に収める資金などは上杉家によるコントロールが必須です。別の表現をすると、上杉家にとって問題のある人物だったといえます。彼の排斥を望む声は多かったでしょう。しかし、それは叶わず、上杉家を没落させるきっかけを生み出してしまうのです。あれだけの功績をあげた上杉謙信の影響力でも覆せないほど、権威を失墜させる引き金になってしまいました。これ以降、上杉家はしばらく地に落ちた状態で存続していくことになります。
ただし、必ずしも悪評が先行していたわけではありません。たとえば治水や新田による事業では一定の成果をあげています。それどころか塩業に関しては優れた手腕を発揮したことが称えられています。忠臣蔵のエピソードでは彼を悪役として扱うために、このような実績には触れないケースがほとんどです。実際には、多くの人から尊敬される面もあったことを覚えておきましょう。その他に、幼い頃に茶道をたしなんでおり、流派を築きあげるほど夢中になったという逸話もあります。