文化人足利義政が愛した銀閣寺の秘密を探る旅に出よう
世界的に有名な銀閣寺を建てたのは、室町幕府第8代将軍の足利義政です。
足利義政は日本の歴史に大きな功績を残しています。
1436年に誕生した足利義政は、室町幕府第6代将軍足利義教の子どもです。
将軍の子どもであっても3男なので将軍候補ではなく、母方の親戚の家で成長します。
1441年に父親が暗殺され兄が室町幕府第7代将軍になりますが、病気で亡くなってしまいます。
足利義政は8歳という若さでしたが、周囲のサポートもあり室町幕府第8代将軍になります。
正室に迎えた富子が男子を生むと世継ぎ争いが起こり、長い応仁の乱が始まります。
応仁の乱で京都の街は荒廃し、足利義政は将軍職を子どもに譲って隠居生活を始めます。
隠居するための銀閣寺
世界遺産のひとつになっている銀閣寺は、もともと足利義政が隠居するために建造された建物です。
室町時代には東山文化という豊かな文化が花開きます。
義政は東山文化の中心となる芸術家たちを広く支援します。
後に狩野派の祖先となる狩野正信や、茶道を大成させた村田珠光は義政に仕えています。
京都市左京区にある銀閣寺の創建は1482年で、外壁には黒漆が塗られています。
銀閣寺の見どころのひとつが国宝の銀閣です。
一層目は書院風の建築様式で、二層目は唐様仏殿の様式が採用されています。
銀閣寺は当時の生活様式にも影響を与えます。
それまではプライバシーのない生活様式でしたが、書院造が発展することで人々のプライバシーが確保されるようになります。
足利義政は東山の浄土寺を没収し、無断で現在の銀閣寺を建てます。
義政が将軍となった時代は、室町幕府の権力が衰退を始めた時期と重なります。
銀閣寺の建設に執念を燃やした義政ですが、結局完成を待たずに55歳で亡くなります。
銀閣寺は江戸時代初期に再建されます。
再建する際には、義政が意識していた観月のイメージが実現しています。
足利義政は政治にはほとんど興味がなく、早い時期から趣味の世界に没頭します。
趣味に興じたおかげで、後の世に大きな影響を与えます。
最も大きな功績は、東山文化を築き上げたことです。