結局日本でどんな活動をしたのザビエルさんの波乱な宣教活動とは
フランシスコ・ザビエルと言えば、誰もが学校の教科書で見たことがある位の有名人です。しかし実際に彼が日本国内でどのような宣教活動をしたのかと聞かれると、具体的に応えられる人はそれほど多くありません。
ザビエルがやったこと
では具体的にどのような活動をしていたのか詳しく見ていきましょう。まず1549年に鹿児島にイエズス会宣教師であるフランシスコ・ザビエルは上陸します。鹿児島でザビエルはキリストの教えと仏教の考え方には共通するものがあるとし、100人の日本人をキリスト教に改宗させます。その後1550年6月に長崎県北西部にある平戸にポルトガル船が寄港したと聞くと、9月に平戸に移住し、そこを拠点にして本格的に国内での布教活動を行い始めます。その為鹿児島での布教活動は、日本初のキリシタンとなった日本人に委ねられました。
ザビエルは平子でたった20日の布教活動で、鹿児島で1年間の不幸活動よりも多くの信者を獲得する事に成功します。さらに同年10月には天皇への謁見を願い出て、日本全土で布教活動する事の許可を求める為に京都へと向かいました。この事からも、当時布教活動が順調だった事が分かります。
しかし戦国時代の真っただ中にある京都は荒廃し、さらに天皇の権威も失墜していました。山口経由で京都に入ったザビエルは、それを見て失望して山口に戻ります。
それでも山口に戻ったザビエルは、空き寺を与えられて数か月間の布教活動が許されます。そして3月からわずか半年間で、500人以上の日本人をキリスト教に改宗させました。
その後1551年1月に平子に日本初の教会が建築される事になり、ザビエルは4月に平戸を3度目の訪問しています。
宣教終了
それから同年9月に大分県豊後にポルトガル船が寄港しているのを知ると、ザビエルはインドでイエズス会の布教活動はどうなっているのか情報を得る為に豊後へ向かいます。そしてそこで報告を聞き、インドの方が自分の存在を必要としていると考え、そのままインドへ行く事になり、日本滞在はここで終わりました。結局平戸での布教活動は2年3カ月で幕を下ろす事になります。